「しししし5」の裏話、こぼれ話をお送りします。
①依頼を受ける
こんにちは、出版業界の遊軍・ごーすと書房です。
まあ、いろいろやってきたようでやってきていないような、広く言えば本の編集に携わってきた人間です。
赤坂の本屋・双子のライオン堂の店主である竹田信弥さんの単著『めんどくさい本屋』(本の種出版・刊)という本の編集を担当して、その流れで現在も、YouTubeの配信イベント「めんどくさい本屋の寄り道」で企画・司会をしたりしています。
そういう縁があってか、双子のライオン堂が発行する文芸誌『しししし Vol.5』で、「随筆かいぼう教室キックオフ 宮崎智之×わかしょ文庫」の構成を担当しました。
履歴をさかのぼってみると、店主の竹田さんから正式に依頼を受けたのが2023年の7月下旬で、原稿の出来上がりが8月中旬。
依頼を受けた当初はいろいろ作業が詰まっていて、なかなか取り掛かれないだろうなと思っていたのに、振り返ってみると短期間で終えていました。たぶん、お盆前後に急な仕事が入って、「いよいよ以て、もたついていられん」という気持ちで、急ぎ仕上げに入っていったんだろうなと思います。
②やり方を考える
対談原稿として依頼された文字数の上限は、1万5000字。
文字起こしの土台は、2022年12月にYouTubeで配信されたイベント「随筆かいぼう教室」のアーカイブから取り出すことができました(現在は非公開)。2時間を超えるイベントをそのまま文字起こしすると、おおよそ4万2000字。ざっくりとした計算で、3分の1程度まで削り込む必要があります。
此処からの取り組み方なのですが、実はこの作業の前後から、別のイベントの文字起こしをひたすら続けていました(今も続いています)。
そちらで一度、文字起こしをしながら原稿をまとめていくという、どちらかというと効率的だろうやり方にトライしてみたのですが、そうすると作業が途切れ途切れになって、どうにも全体像がつかめず散漫な状態が続く結果になりました。
まずは集中して文字起こしをする、それからまた頭を切り替えて原稿を仕上げる、という段階を踏んだほうが、自分としてはやりやすかっただけなのかもしれないですが。
結局、「全編を正確に文字起こししてから原稿に落とし込んでいく」という手法を採ることにしました。
③文字起こしに取り組む
YouTubeの文字起こしは万能ではなくて、高精度で拾えているところもあれば、ちょっとでも話者の声が小さくなったり早口になったりすると再現度が低くなったり、20から30秒ほどの会話がすっぽり抜けてしまったりする箇所も出てきます
(たまに、「ブーブー」とか[音楽]とか[笑]とか、何かの擬音だったり状況を表す言葉に変換されていたりすることがあって、AIがそうやって認識する深遠な理由はあるんでしょうけど、「なんでそうなるの?」と、ひとりでパソコン画面に向かって突っ込んだりしています)
そのため、文字起こしの細かな部分はアーカイブを頭から聴いていって、ちくちく直していく必要がありました。
作業開始。
まず、YouTubeの文字起こしをコピーして、プレーンなテキストエディタに貼り付けます。次にWord文書で、原稿のフォーマットを作成。これは、先行して別途制作されていた『しししし Vol.5』掲載の鼎談「日本文学は、いま」(グレゴリー・ケズナジャット×辛島デイヴィッド×長瀬海)を参考にしました。
テキストエディタの文字起こしを再びコピーしたら、フォーマットを整えたWord文書に貼り付け。此処からは、YouTubeのアーカイブを流しながら、音声をイヤホンで聴き取り、地道に文字起こしのテキストを修正・補足していく時間です。
この工程は、合間合間に別の作業を挟みながら、トータル1週間ぐらいで終わらせることができたのではないかと思います。
文字起こしのとき、個人的に心掛けていることがあって、話者の口調を(相槌なども含めて)そのままの形で文字化するように意識しています。口語にこそ、その人らしさや細かなニュアンス、言葉を引き出そうとしたときの迷いや熱量も込められると、手前勝手に感じているからです。
このあたりは、『めんどくさい本屋』に収録された鼎談を読み返してもらえると、意図が伝わるかもしれません。あちらは、慣れ親しんだ4人のやりとりを丁寧に再現するほうが、その場の「ノリ」や雰囲気が伝わると思ったので、そのままにしている部分が多いです。
また、文字起こしを修正していくときは、最終的に削ることを見越して、というほどではなくても、印象に残るテーマややりとりを、いくつか頭の片隅に留めていきます。
のちのち原稿を仕上げていくための基礎というか、「これは入れておきたい」というセクションが見えてくる感じです。
そんな流れで、文字起こしの修正・補足は終了。
取りまとめた文字起こしのWord文書は、そのまま保存。コピーして、納品する原稿用のファイルを別途つくります。そちらの新しいファイルを開いて、ようやく原稿作成の段階へ進みます。
④原稿をつくる――登壇者の存在を、どう伝えるか
さて、原稿用のファイルを開いてみると、思った以上にテキストの量が多いことに、改めて気づきました。文字起こしを修正しているときは、その作業に必死だったので、あまり意識していなかったわけです…。
文字起こしのところでふれられていなかったのですが、あとの作業の目印になるように、話題の切れ目や転換点で段落を分けて(1行空きなどを入れて)、それを基点にセクションを区切って原稿を構成していくときもあります。
ただ、今回の「随筆かいぼう教室」は、話題がかなりシームレスにつながっていて、文字起こしを修正する段階で切れ目を入れていくことが難しかった。
融通無碍に連なる宮崎さんの豊潤な語りが理由のひとつですが、無理やり断ち切るようなことは困難であるからこそ、やはり冒頭から読み進めながら、どこに区切りを入れられるのかをそのつど考えていくほうがよいと、じっくり取り組む道を選びました。
原稿をまとめていくうえで念頭に置いたのは、「読者にどう読まれるか」「読者にどこを読んでもらいたいか」という部分です。
いくつかの基準が自分の中にあって、そのひとつは、イベント登壇者がどのような歩みをたどって、どんな著書を上梓してきたのかを、分かりやすく伝えることでした。読者の中には、宮崎さんとわかしょ文庫さんの本をまだ読んだことがないという人も、もちろん存在します。だからこそ、今回の原稿を通じておふたりの足跡を辿ってもらうことが大切。
さらには、宮崎さんとわかしょ文庫さんがお互いの著書をどのように読んでいるかも、この対談を語るうえで欠かせない要素でした。連続イベントの第1回であることも踏まえると、今後の回ではゲストの紹介に重きが置かれてくると思うので、特に今回はおふたりのことを紹介する必要があったかなと考えています。
(この点、宮崎さんの『うろん紀行』に対するレビュー、わかしょ文庫さんの『平熱のまま、この世界に熱狂したい』のレビューがそれぞれリスペクトに満ちていて、とても素晴らしい内容になっています)
⑤原稿をつくる――論点をどこに置くか
1万5000字、誌面では10ページ前後の文量に収めるうえで、「1~2ページ程度でセクションを区切って中見出しを立てていく」という流れが、原稿を取りまとめていくうちに出来上がっていきました。
おふたりの紹介に続いて必要だったのは、随筆・エッセイシーンを取り巻く現状を伝えることです。ZINEをつくって文学フリマに出店する、さらには独立書店が書き手や作品を発掘するという流れ。出版社としては〈代わりに読む人〉や百万年書房の存在。そして、堀静香さんの『せいいっぱいの悪口』から引き出された「さわやかなかぜ」という言葉と、宮崎さんを象徴するような言葉である「凪(なぎ)」とのつながり。
このあとに語られる、言葉の獲得を通じた認識や認知の広がりといった論点を引き出していくためにも、今回の原稿には欠かせない要素だと感じました。
さらには、文芸における随筆の位置づけを捉え直すうえで、一見するとなじみのない「自照文学」と「心境小説」という言葉が、宮崎さんから紹介されます。
そこでは随筆と「私小説」との差異が明らかにされるくだりがあって、これは論点のひとつとして活字に収めておきたいと考えました。
一方で、わかしょ文庫さんの語りにおいて重要と思われたのは、随筆やエッセイに何をどこまで書けるのか、というセンシティブなテーマです。
時に自分自身を、自分と周りの人たちや生活を切り分けるようにつづっていく随筆・エッセイには、本当は恐ろしいまでの覚悟が必要で、ひとりの人間として其処に向き合い続けていくべきなのか。さらには他の誰かにも「書くこと」「ZINEをつくること」を促していいものなのかどうか。
「修羅の道」という言葉で表されたわかしょ文庫さんの惑いに対する、宮崎さんのアンサーには希望があって、それは著書『モヤモヤの日々』の連載を通じて培われたものだということが伝わってきます。
原稿の最後のセクションでは、実際のイベントでも宮崎さんが終盤に取り上げた「雑談」をめぐる提言を収録しました。
辻本力さんの著書『失われた“雑談”を求めて』(タバブックス・刊)を基点にした論点ですが、雑談は他人事であっても、その他人事をこそ誰もが聞きたいと思っているし、擁護しなければならない時代になってきている、と。これは、日記を含めた今の随筆・エッセイシーンがどうして活況を呈しているのか、その背景を語るうえでとても重要な提言だと感じました。
こうして、主だったテーマを選び抜いていく段では、宮崎さんが自身のnoteにつづった論点も参考になりました(2022年12月17日付〈新たな言葉と認識の獲得へ「随筆かいぼう教室」スタート!〉https://note.com/miyazakid/n/n98ffa6007366)。
原稿の構成において、現実的には、個々のセクションでも少しずつ少しずつ言葉を刈り込み、前後の流れに矛盾が生じないように圧縮していきましたが、中途半端な編集では、かえっておふたりの意図が伝わらなくなる部分も生じてきます。
そうすると、思い切ってセクション全体を丸々割愛する、という判断も求められてきました。
削らざるを得なかったのは、宮崎さんとわかしょ文庫さんが持ち寄った本を紹介する場面です。
これらは部分的に収録するのが難しく、イベントの核心部分からやや外れてしまうこともあり、思い切って削る判断をしました。2万字ほどまで削り込んだ時点では原稿に含めていた本の紹介もあって、何度も原稿を読み返し、「もう此処を削らなければ規定の文字数に収まらない…」という如何ともしがたい状況で、残念ながらカットしています。
具体的な書名は挙げられないのですが、取り上げられた作品は本当にたくさんあって、今回の原稿に含まれなかった部分を含めた、完全版の「随筆かいぼう教室キックオフ」が、どこかで日の目を見る機会が来ればいいなとも思っています。
⑥蛇足――登壇者ではない人物が原稿を構成する意味
竹田さんに原稿を納品した時点で、こちらの役割は終わり、完全に手を放して、あとは本が出来上がるのを待つだけの状態になりました。
最後に記しておくと、「随筆かいぼう教室キックオフ」はリアルタイムで視聴していたわけではなく、本当にまっさらな状態でアーカイブをひもとき、文字起こしを通じて宮崎さんとわかしょ文庫さんの語りと向き合いました。
原稿をまとめる立場でありながら、自分はその当事者ではない。もっと近しい人が原稿を構成していたら、選び取るセクションやテーマも少しずつ違っていたと思います。
ただ、客観的な眼で見たときに、何に対して価値や意義を見いだすか、どのような言葉を選び抜いていくかという部分が、編集の妙味でもあります。第三者だからこそ、実感をともなって対象を浮き上がらせることができる、そうした視点もあると思います。
出来上がった誌面で「随筆かいぼう教室キックオフ」を読み返しながら、姿の見えない原稿作成者を尊重してくれた宮崎さん、わかしょ文庫さん、そして竹田さんに感謝の念をこめつつ、筆をおきます。